資本主義社会の闇
2025年 10月 28日
資本主義社会とは、誰かに借金や割を喰らわせる不平等な経済システムだ。金の貸し手(金融機関、企業、国)が、誰かに借金を背負わせてその金の貸し手(金融機関、企業、国)が経済的に潤うという歪んだ仕組みだ。
借金だけではなく力のある組織や権力者、既得権益層が、不利益な制度や法律、組織や社会の慣習の歪みを立場の弱い人達に押し付けて利益を横取りする横暴な社会システムだ。
上記の例で言えば銀行は、企業に或いは個人にお金を貸し付けて利息を付けた返済を受ける。そして年功序列の残る旧態依然の雇用慣習のある会社は、古株の人間が新米の人間を酷使したり虚栄心を満たす相手と見なし雑に扱う。
世間ではその資本主義の歪んだ慣習から逃れようと宗教に走る人達もいるが、その宗教でさえ金や地位が絡むから醜悪な資本主義社会より性質が悪い。
もしも全ての国や企業、個人の借金が完済されたら経済が回らない。もしも宗教神を信じる人々がいなければ宗教は成り立たない。
宗教では、お布施(金銭)で僧侶の階層などがある。それは古今東西繰り返された醜悪な歴史の繰り返しだ。
社会に流通している貨幣や紙幣は、宗教と同じで人々の共同幻想だ。たかが紙切れに国家の信用が宿っている。たかが只の石っころ、彫像に神の聖なる心が宿っていると明らかに嘘だと思えるものを無理やり信じ込んでいるだけだ。
経済や宗教を信じていてもスキルは、身につかないし人間的な成長も身に付くわけがない。
街の寺の坊主と話をする機会あるが、坊主共は知性ゼロだ。あいつらから教養を感じられない。
そして銀行などの金融機関の人達と話をする機会あるがこれまた街の寺の坊主共と同じだ。
要は、安定した経営基盤に胡坐を嗅ぐ怠慢体質だからだ。中には、経営が苦しい金融機関や宗教施設も沢山あるがそれらは可視化され難い。
金のある奴は、他人から掠め取った金で豊かになっているだけで宗教界は、醜悪な資本主義の軛から逃れるために縋っていてもそれを纏める坊主共からしたら自らの欲求を満たす相手でしかない。
我々は、腐った社会システムの中で藻掻く哀れな存在に過ぎない。嗚呼、
by Taka58opnx
| 2025-10-28 20:02
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